最近、物凄~く鼻につく日本語



最近、物凄~く鼻につく日本語があります。「神対応」という言葉。「素晴らしい対応」ということを言いたいのでしょうが、どうもこの日本語が鼻についてしょうがないのです。

「OO店の店員の神対応!」「OO選手の神対応!」「タレントのOOさんの神対応コメント!」などなど・・・。「神ってる」などという何だかわからない日本語もあるようですし・・。頻繁に神様の名前を使って、神様を身近に感じようとしている・・というわけでもなさそうだし、ただ乱用しているようにしか見えないのです。

随分前になりますが、久世光彦(くぜ てるひこ)さんという日本の演出家・小説家・テレビプロデューサーがお書きになった「ニホンゴキトク」という本があります。若い人はご存じないかもしれませんが、久世さんは向田邦子さんとコンビを組んで、昭和の大ヒットドラマ「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」などを生んだ有名な方。ドラマだけでなく作家としても素晴らしい賞を受けています。

久世光彦さんが書かれた「ニホンゴキトク」というエッセイ集

「ニホンゴキトク」は、久世さんが消えゆく美しい日本語への思いについて書いたエッセイ集です。本の中で向田邦子さんのエピソードが時々でてきます。向田さんはテレビドラマ脚本家・エッセイスト・小説家で、とても日本語を大切にしていたそうです。本の中に、こんな記述がありました。お二人とも、とても言葉を大事にしていたのだなあと思います。

「向田邦子さんは、<じれったい>とか<辛抱>とかいう言葉が大好きな人だった。その類の言葉の影が、だんだんと薄れていくのをとても悲しがるというよりは、悔しがっていた。だから、テレビドラマの中で、そういった言葉をなるべく使おうとした。向田さんの作品に年寄りがよく出てきたのは、その目的もあってのことだった。老人なら、半死語を日常の中で使ってもちっともおかしくない。」(ニホンゴキトクの「じれったい」より抜粋)

インターネットは、とても便利です。私のようにニューヨークに住んでいても、ネットニュースでかなりの日本の情報が目に飛び込んできます。母国のニュースがタイムリーに手軽に見ることができるのは、本当に有難い。しかし、最近のネットニュースのタイトルを見ると、ゴシップ紙と見分けがつかないぐらいの安っぽいタイトルが、バンバン使われているように思えます。たくさん掲載されている情報の中に目を留めてもらってクリックしてもらうためには、そういう方法を取るしかないのかもしれません。が、少しタイトルが「幼稚」だなと思うことが多くなりました。

ニュースをネットでなく、紙面で新聞で読んでいたとき、書き手はもっと慎重に言葉を選んでいたように思うし、表現も一辺倒ではなかった気がします。活字だと残るし、何度も読み返すからかしら?

最近、メールでも、いきなり知らない人から「ニューヨークでゴスペル聞けるところありますか?」とメッセージが送られてきます。名前も名乗らなければ、相手への呼びかけもありません。電話や手紙だったら、絶対そんなことはしないでしょう?「初めまして。OOと申します。打木さんのことは、OOで知りました。今度ニューヨークに行くのですが、ゴスペル音楽が聴けるところをご存じないかと思って連絡しました。」ぐらいは言う(書く)はずです。便利になったけど、人とのコミュニケーションに思いやりのようなものがなくなってしまったように思うのです。



とはいえ、私も人さまのことを笑えません。先日も友人宅に行き、とても美味しいお料理を食べた際、思わず「このソース、ヤバい!」と声をあげてしまいました。「やばい」という言葉は、辞書を引くと「身に危険が迫るさま。あぶない。」「不都合が予想される。」と、書かれています。しかし、若い人たちの間では、その逆の意味「凄い」「素敵」として使われています。インターネットの影響か、50歳を過ぎた私もいつの間にか若者言葉がインプットされてしまったようで、声をあげた後、少し恥ずかしい思いをしました。

聖書の中にあるヨハネの福音書の冒頭は「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった」と書かれています。言葉って、もっと大事なものだったのではないかしら?神様が人間にくださった言葉、私達は当たり前のように思い、軽く扱っていないかしら?

 

Youtube画像より
https://www.youtube.com/watch?v=EKMdpGWGK-c

「神対応」という言葉にイラっとしたことで、今日の私は言葉について深く考える時間がもてました。私達人間に言葉をくださった神様。「神対応」という言葉・・・どう思っているかしらね?(苦笑)

2018年2月25日
文:打木希瑶子