ゴスペル音楽を歌う意味


2日前、ゴスペルフェストのページに投稿されていたエリカ・キャンベルさんの情報へのコメントで、Mary Maryの大ヒット曲「Shackles」が紹介されていました。聞くと思わず体が動いてしまう曲で、私も大好きです!でも、Mary Maryの曲で私に最も影響を与えてくれた曲は、Shacklesと同じアルバムに入っていた「Can’t Give up now」という曲です。ご存知ですか?Can’t Give Up Now(歌詞付き)は、こちら

この曲は、実はエリカさんたちのリメイク。オリジナルはジェームス・クリーブランドさんが書いて録音した「Where Is Your Faith In God」(楽曲は、こちら)なんです。

私は、この歌のメッセージのポイントは「目の前にある山にあなたは登ろうとしましたか?」ということだと思えます。山というのはゴスペル音楽の歌詞で、よく「困難」にたとえられます。しかし、私は山を困難なものに置き換えてもピンときません。私は特に登山が好きな人間ではありませんので、基本的に行きません。この20年間でも、息子が小さかったころにハイキング程度の山登りをした記憶しかありません。よって、登山家が登っているような山を想像しろと言われても、どのぐらいの困難なのかイメージするのが難しいのです(苦笑)。

山に行くと普段みかけない植物、鳥の声、風の音、空気、匂い・・・山の中には普段と違うものが沢山あり、非日常的な世界から解放されます。心も体も頭もリフレッシュできます。そこで私は山を「夢」に置き換えてみます。子どもの頃、私は目の前にそびえる山々(たくさんの夢)を見て「あの山を登りたい!」「頂上からの景色は、一体どんなものなのだろう!」「山の向こうには何があるのだろう!」とワクワクしていました。しかし、成長するにつれ「あ~、私にこの山は登れない」と、いくつもの山登りを諦めていきました。時間がない、お金がない、体力がない、学歴がない、周囲の理解がない、一緒に登る仲間がいない・・・さまざまな理由をつけて、登ることを諦めるようになりました。

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山を登るのか登らないのか(やるか、やらないか)は自分が決めることであり、他人や環境のせいにする必要はないはずです。大人になればなるほど、人は普段と違う行動を起こすことに恐怖を感じるようになります。それは、きっと失敗したときの自分を想像するからでしょうね。子どもの頃から色々と失敗を繰り返してきた、あるいは失敗した大人を見てきたとか、大人に失敗が無駄だと教えられたとか・・・その経験から失敗=恐怖になってしまいます。「残念な思いをするぐらいなら、今のままで良い」と自分を納得させるようになります。

それが、本当に納得していれば問題はありません。自分が本当に納得したならば、楽しくて満足した毎日を送っているはずです。しかし、世の中には欲や嫉妬という醜い感情があふれています。それはなぜでしょうか?答えは簡単です。それは納得したわけではなく、自分が傷つかないように防御しただけだからです。自分の魂が欲していることに蓋をして、体や心が傷つかないように防御した結果、満足できない結果が生まれているのです。

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嫉妬という感情は人間の幸せを邪魔する「悪」のひとつです。自分が幸せになるためには、この悪と常に戦わなければいけません。人生の中で戦わなくてはならない本当の相手は弱い自分。言い訳をし続けている弱い自分と、常に戦わなくてはならない。戦い無くして、その先に勝利(幸せ)などないのです。
この歌の中に「How can I expect to win if I never try.」(試してもみないのに、どうやって勝つことができるの?)という歌詞がでてきます。自分の魂は山に登りたいと言っているのに、頭と心と体が結託してそれを阻止してしまい、試すことさえできない・・・だから、自分の人生に満足ができないのです。

また、同じことをし続けて、違う結果を求めるほど愚かなことはありません。時には、非日常的な環境に自分を置くことも必要だと思います。いつもと違う場所に行ってみる、いつもと違う人に会ってみる、いつもと違うことをやってみる・・・。いつもと違う景色を見たり、自分と静かに向き合ってみたりすること=「山に登ってみること」も意味するのではないかと思います。

最新インタビューが掲載されたInsight No.178

私はニューヨークに12年前に移住しました。私の話については、すでにいくつかのインタビューでお答えし、それがリリースされています(知りたい方は、こちらが最新インタビューです)のでここでは省きます。私は登山途中で嵐に巻き込まれてしまいました。ニューヨーク生活の1/3は「こんな山に登らなければ良かった!神様を信じた私がバカだった!」そう思っていました。そして、私はゴスペル音楽と神様から離れました。しかし、その時の私はもう下山を許されない場所まで登ってしまっていました。

この歌の歌詞「I just can’t give Up now! Come too far from where I started from」(止めることはできない、だってあまりに遠くまで来てしまったから)の通りでした。引き続き登るか、死を選ぶかという選択肢しか私にはありませんでした。息子を置いて死ぬことはできない。もう、登るしかありませんでした。登る途中、常に恐怖がつきまとい、何度も倒れ、泣き、傷つきました。身動きが取れなくなってしまい、何度も止まりました。しかし、嵐は少しずつ収まり、いつの間にか少しずつ頂上に近づいていました。そして、頂上に着いたとき、私は再び神様(希望)と出会うことができました。

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山の頂上から見る世界は、今までの自分の経験からは想像がつかない世界でした。新しい友人たちや新しい教会との出会い、エミー賞プロデューサーのカーティスさんとゴスペルフェストとの出会い、ヨランダ・アダムスさんやドニー・マクラーキンさんなど憧れのスターたちとの出会い・・・。沢山の信じられない出会い(宝物)が下山する私に用意されていました。

でも、一番の宝は私自身だったと思います。下山する私は、もう以前の私ではなくなっていました。以前よりももっと強くなれていたし、もっと自分に自信も持てるようになっていたし、もっと神様とのつながりも強くなっていたし、もっとゴスペル音楽を愛せるようなっていました。そして、もっともっと神様の知恵を分けて欲しいと望むようになっていました。

ゴスペルを歌う意味。これは山(夢や希望)に登れない人たちの背中を押したり、登って私のように立ち往生している人を励ましたり、神様(希望)を信じさせてくれたり、神様との結びつきを強くしてくれたりするためだと思います。それは、自分自身のためだったり、誰かのためだったり。ゴスペル音楽の歌詞には、神様の知恵と愛と励ましが沢山詰まっています。私たちはゴスペル音楽から希望を見出し、そして誰かに希望を与えてあげることもできるのです。

エリカ・キャンベル:The Gospel Guru

アメリカを代表するゴスペル・アーティストたちの楽曲は、私の運命を変えました。もう一度、人生をやり直せたきっかけを作ったのは、ゴスペルフェストで見たプロのアーティストたちのステージでした。教会のエネルギーとはまた種類の違う、驚くようなパワーがみなぎっていました。ゴスペル音楽を一生の仕事と決めたアーティストたちの「覚悟」(信念)が、そこにはあります。

ゴスペル音楽は、クリスチャンのためだけにあるものではありません。神様が世界中の人たちにくださった特別な音楽です。ゴスペル音楽を歌うことは、神様の望む世界を作れる手段の一つだと思います。毎年、ゴスペルフェストには日本人の私たちにとって、驚くようなギフトが用意されています。そのギフトは神さまが私を通して日本の皆さんに用意されたものです。

今年もゴスペルフェストにどんな方々が来てくださるのか、どんな方々が私と一緒にギフトを開けてくださるのか、楽しみでなりません!

Gospel Fest 2016: アメリカで沢山のメディアから取材を受ける日本の出演者の皆さん

2017年3月25日 文:打木希瑶子